To be or not1-シェークスピアの父はカトリック

スペインの脅威を一応退けたイングランドでは、平和のムードで文化が発展した。とりわけ発展したのは演劇で、女王の演劇好きのおかげで貴族をパトロンに持つプロの役者が出現し、テムズ川付近に劇場ができていった。ルネサンスイタリアから持ち込まれたギリシャローマ古典文学も英訳されていった。

こうしていよいよ1592年現代でも名高いウィリアム・シェークスピアが「ヘンリー6世」で劇作家デビューをする。彼は1564年ストラトフォード・アボン・エイボンに生まれたようだ。父は裕福な皮て手袋商人で町長まで務めている。息子は学校でラテン語の教育をみっちり受けた。

75年に女王が近くのレスター伯@愛人のもとに御幸した際、大々的な野外演劇を催し、これを見た体験が「真夏の夜の夢」などに反映しているという説もある。しかし一家の宗教はカトリックのようで、カトリック排斥の機運の中、父は町長を辞任し、商売もうまくいかなくなった。

79年にウィリアムは結婚、しかし80年代に入るとカトリック弾圧が激しくなり、彼の学校の先生も処刑されてしまう。86年、父は市参事会身分をはく奪、国教忌避者として罰金を科された。翌87年ウィリアムは三人の子供と家族を残し行方をくらます。そしてロンドンで役者となっていたのだ。

下は映画「ヘンリー5世」冒頭の当時の舞台シーン

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。