パリではギーズ公暗殺のすぐ後、1589年1月5日、王母にして長らく混乱のフランスに君臨してきたカトリーヌ・ド・メディシスが崩御した。69歳、最後はもう立ち上がれぬほど衰弱していたが、ギーズ公暗殺が最後の指図であったのか定かではない。いずれにせよフランスはかじ取りを失った。
バランスは旧教から新教寄りに動き、旗頭ナヴァール公アンリは3月、国王アンリ3世支持を表明。翌4月に残った2人のアンリはトゥール南で会見して抱擁し合って協力を誓った。この仲介には、思想家モンテーニュも加わっており、彼はこの後目的が達成されたと見て居城に戻る。
2人のアンリはカトリックの牙城パリ包囲に移った。これにはドイツ騎兵も参戦し、一方のカトリックにはスペイン軍も居たので、もはや内戦は国際化してしまっていた。パリ大学は国王アンリ3世の有罪を宣言、ギーズ公弟シャルルを司令官に任命した。
8月1日、サン・クルーに居たアンリ3世は、ドミニコ修道士ジャック・クレマンを謁見したところ、彼に暗殺された。王は後継にナヴァール王を指名し、ヴァロア朝はここに途絶えた。しかしカトリック側では、ブルボン枢機卿シャルルを国王シャルル10世として国は分裂したのである。
下はアンリ3世の暗殺
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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