日本宣教19-遣欧少年使節帰国す

突然の禁教令に宣教師も信徒もパニックとなった。教会の土地は召し上げられ、京都の南蛮寺は破壊された。これは秀吉というより、以前よりキリシタンを嫌う者が破壊したのだろう。宣教師達は平戸に集合して、様子を見ることとなった。九州の大名達も様子見で、教会に危害を加えることもなかった。

ところが準管区長のコエーリョは、キリシタン大名達に長崎防衛を要請、フィリピンやマカオにまで軍事支援を要請した。天正少年使節と共に帰国の途にあったヴァリアーノはびっくり仰天。コエーリョの謀みは、大名からも海外からも支持を得られず、1590年に死去した。

秀吉も、禁教令は自分の焦りすぎだった、と北政所の前で言ったそうだ。これから北条攻めが待っており、海外貿易の面から見ても、キリシタン大名達は必要だった。結局このときは宣教師達は誰も出て行くことはなかった。右近は加賀前田家の客将として1万5千石で召し抱えられた。

1591年、インド副王使節との体裁で、天正遣欧使節4人が戻り、秀吉に謁見した。アラビア馬を始めとして豪華な品々が献上され、帰国した少年達は西洋楽器を演奏した。秀吉は再三に渡り、少年達をスカウトしようとしたが、彼らはすべて辞退。いずれにせよ一旦は禁教は緩和された。

下は奏楽する遣欧少年使節

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。