日本宣教18-秀吉突如!バテレン追放令

秀吉の九州征伐は順調にすすみ、島津は降伏した。この司令官だった黒田孝高は、この頃キリスト教に熱心で、毛利にかけあって教会を建てる許可を得、大友宗麟の子義統を入信させ、豊後のキリスト教を復興、なんと長男長政も受洗してダミアンの霊名を得ている。

秀吉は、アジア準管区長コエーリョと軍船フスタ船で会見した。秀吉はフスタ船を見学して大いに満悦の様子だったが、それを聞いた右近と行長は青ざめ、その船を献上せよと言ったが、コエーリョはわからなかった。秀吉は、平戸に停泊している軍船に博多に来て見せるようにと命令した。

ところが航海の都合上、それは無理と献上品をもって丁重に断り、秀吉も了承したように見えた。しかしその夜秀吉は、態度を一変し、1587年6月19日、突然バテレン追放令を発布したのである。追放は宣教師に限られ、商人達はおとがめなしでった。

そして日本人でこのみせしめとなったのが高山右近だった。秀吉のねらいは右近を改宗させて、キリシタン大名を自分の配下に置くことだった。が、右近は神の道を選び、領地をすべて返上してしまった。右近は同じキリシタンの小西行長に匿われ、それ以上の処分ができなくなった。

下は小豆島教会の高山右近像とゆるキャラうーこんどの

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。