黄金帝国16-イギリス侵攻司令官の問題

スペインのイングランド侵攻計画は実はレパントの英雄サンタクルス侯爵を中心に発案されていた。しかし国王フェリペは慎重だった。オランダも安定していないのにイングランドとは大胆すぎる。しかしメアリ・スチュアートの処刑で世論を止めることはできなくなった。

そして1587年4月29日、機先を制してドレイクがカディス港に奇襲をかけ、艦船や食糧、機材を破壊してまわった。ドレイクはなおも6月まで、ポルトガル沿岸を荒らしまわって帰国、歓呼に迎えられた。エリザベスは港は攻撃せぬよう手紙を出していたが、届いたときは後の祭で、しらばっくれるしかなかった。

イギリスを攻撃するにしても、再度糧食などを調達するしかない。この調達員の一人に後の大文豪セルバンテスが居たのである。彼はレパントの後チュニス攻略にも参戦したが、その後5年間イスラムの捕虜となっていた。彼は調達に応じない町々から強制的に徴発する仕事をするのである。

セルバンテスが徴発をしている頃、司令官のサンタクルス候が死去。慌てたフェリペは、名門メディナ=シドニア公を任命した。公は海戦の経験がなく、「船酔いをする」との遠慮の手紙を書いているが、艦隊は兵を上陸させるのみ、と説得された。このおかげでシドニア公は後生無能の烙印を押される。

下は無敵艦隊の威容

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。