三アンリの戦いといいながら、一番分が悪いのが仏王アンリ3世である。ギース公はスペインがつき、ナバラ王にはユグノーとポリティーク派、王はそれを揺れ動く。さらにナバラ王妃のはずのマルゴはとうとう別居、王家の血をひく彼女はここで両天秤に出たのである。
1585年7月7日、王側とカトリック側でヌムール協定が締結された。それは再び三度新教の国内禁止を宣言、王は旧教派についたとみえながら、王母カトリーヌは王のカトリックという文字をはずし、ドタン場でナバラ王にもチャンスを残したのである。そしてナバラ王に改宗の声をかける。
翌年12月王母カトリーヌは、協定などおかまいなしにナバラ王アンリに会いに行く。実に67歳の寄る歳波の上に病気の塊ながら王家を守る意地で生きていた。この秘密会見で、王母は新教禁止を一年猶予し、ナバラ王の改宗して王位継承をも提案するのである。
この会見にはあの思想家モンテーニュも駆り出されたようである。しかしナバラ王は色気はありながらその時期ではないと思っていた。武力にてまずギーズ公を粉砕しなければ道は開けないと思っていた。会談は物別れに終わり、この猶予期間にイングランドでとんでもない事件が起こる。
下は萩尾望都作の三アンリとマルゴ
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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