アンジュー公の死はちょっとしたパニックを仏国内に引き起こした。ヴァロア家の跡継ぎが居なくなったのだ。国王アンリ3世は30歳を過ぎ子が居ない。実にカトリーヌの息子は成人が4人も居たのに、皆居ない。ましてこの乱世、何と継承筆頭に新教のナヴァラ王アンリがついたのだ。
そして1584年7月、今度は独立紛争中のネーデルランドのリーダーであるオランイェ公が、カトリック狂信者の凶弾に倒れた。ちなみに、銃で国家指導者が暗殺された最初の例となった。独立運動は一時混乱したが、やがてオランイェ公の息子マウリッツ公が率いることになる。
ともかく仏王アンリ3世は、妹マルグリットの婿であるナヴァラ王に、改宗を要請するが返事はノン。しかしナヴァラ王は、その頃ボルドー市長を務めていたモンテーニュに相談しているので、そう頑なでもなかったようだ。しかし動くのは王側だけではない。
ギーズ公アンリを筆頭とする旧教派は、ナヴァラ王叔父枢機卿シャルルを元俗させて継承者をつくろうとした。こうした緊張の高まりで、ついに85年3月熱い最後の戦争が勃発した。これは王側旧教側新教側が皆アンリなので、「三アンリの戦い」と言われる。当時の人はさぞややこしかったろう。
下はオランイェ公暗殺
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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