英国処女王8-メアリ・スチュアート廃位

スコットランドのマレ伯の反乱は国民を味方につけられず孤立し、イングランドに亡命した。メアリはこの勝利で、自信を持ち、自分の秘書側近としてリッチオを重用するようになった。ところがこれは王への集権が進んでいないスコットランドでは貴族の反発を生んだ。

さらにもって、夫のダーンリー卿も不倫の疑いを抱いた。1566年3月9日、夫ダーンリーも共謀して、謁見室での夕食中に、押し入ってきた貴族達によって、リッチオはメアリの目の前で殺害された。メアリは妊娠しており、夫はリッチオの子と疑って流産させたかった(サイテー!)ようだが、6月に誕生した。

メアリの子はジェームスと名付けられたが、この子がメアリとエリザべスの後に両国を統一する王となる。しかし夫とは不仲であり、これを利用して成りあがろうとする者が居た、ボスウェル伯である。67年2月10日、今度はダーンリー卿が暗殺され、4月メアリはボスウェルに誘拐されて強引に結婚させられた。

メアリの結婚は自分の後ろ盾になってもらうためだったが、今度は他の貴族が反乱、彼女は国を救うために投降して幽閉された。7月メアリは廃位され、1歳の息子が王位についた。68年5月メアリは脱出して、兵を集めて戦うが敗れ、イングランドに逃れた。

下はウィリアム・アラン作「リッチオ殺害」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。