1560年12月5日、仏王フランソワ2世が在位1年で崩御。しかしその5日後には当地オルレアンでは全国三部会の開催が決まっている。そこで動いたのが王母、黒王妃カトリーヌ・デ・メディシスである。新王を弟のシャルル9世に決め、ナヴァラ王アントワーヌ・ド・ブルボンとの共同統治を提案する。
普通なら王母は摂政で異論は出ないが、黒王妃は平民出身。そこでブルボン公を立てたのだが、その元へは「遊撃騎兵隊」の異名をとる彼女の300人の美女女官の1人がもう送りこまれていた、つまり「くのいち」集団、女の色気でブルボン公は共同統治をOKし,カトリーヌは摂政に。
全国三部会は「皆がキリスト教徒」という言葉から始まり、黒王妃の新旧教融和政策が開始された。しかし増税も絡めて議論はまとまらなかった。再度ポワシー会議会議が招集されたが、融和政策に反対するギーズ公らが「三頭政治」をつくり、カトリック守旧派を公然と宣言した。
黒王妃は、新旧対立が激化する中も、新王戴冠、宗教会議、三部会をこなし、その傍らカルヴァンの右腕テオドール・ド・ベースとも秘密会談。その上で62年「一月勅令」を発布、新教の権利を認めた。しかしこの勅令は、三頭政治派の反発を生み、フランスでは第一次ユグノー戦争が始まる。
下はポアシー会議中央にカトリーヌと少年シャルル9世
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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