皇帝カール5世が決めた宗教に関する「暫定措置」は、大部分は受け入れたが、北ドイツ、特にマグデブルクは頑として受け入れなかった。そこで皇帝は、1550年マグデブルク追討を宣言、諸侯に兵と軍資金の拠出を命じた。カールはここで新しい帝国軍を試そうとした、多分軍資金も尽きていただろう。
ここで新教諸侯に押され、総司令官につけたのが「マイセンのユダ」と言われていたザクセン候モーリッツである。モーリッツは、町を包囲し、抵抗が激しいことを理由にいっこうに攻撃を行わない。そして守備側と内密に打ち合わせして、ニセの降伏をすることにした。
もしも帝国の目付をつけていれば小細工は露見したろう。しかしカールは結局人がいいというか、モーリッツの報告をきいて手放しで喜んだのだ。しかし都市との秘密合意では、宗教は従来のままで目立たずにするだけだった。まあ他の都市と同じといえば同じである。
前年に教皇パウルス3世が亡くなり、次に選ばれたユリウス3世はトリエントで公会議を再開することに合意した。カールはトリエントに新教も含め、キリスト教一致が成ることを望み、イタリアに近いインスブルックに宮廷を移した。カールは今度こそ生涯の目的が達成されると思ったろう。
下はインスブルックのフフッガー家のカール5世
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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