我ここに立つ28-ルター死す

1546年2月18日、宗教改革の巨星ルター没す。「95カ条の論題」からの前半生は、時代の波に身体ごと呑まれていたが、帝国の指名手配犯となってからは、著作と教育活動に徹した。ドイツ語訳聖書はドイツ語の標準をつくったが、むしろ聖書解釈の講義がルター派をつくっていったといえる。

とりわけ画期的なのは「大教理問答」と「小教理問答」であり、特に「小教理問答」は、家庭で子供に親がキリスト教を教えられるマニュアルであった。教会よりもむしろ家庭が信仰育成の場となり、識字率があがっていった。ドイツ映画などでよく厳格な家族の風景を見るがあれである。

新教の牧師は、祭司ではなくキリスト教の教師となり、ルターの思想はその後大学で教えられ、領邦大学卒生が牧師となった。市民の子弟の就職先となったから、結局従来と変わらんといえば変わらない。

ルターはあるときから黙示録的考えで、旧教が倒されて新しい世が来ると頑なに考えて突っ走ったようだ。彼は理性的であると同時に、頑固で偏狭な面をもち、トーマス・マンは「ドイツ気質の巨大な権化」と述べ「怒りっぽく、罵倒し、唾をはきかけ、怒り狂う態度」はとても好きになれない、と述べている。カトリックは「悪魔」とした時期があるが、現在教会博士。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。