最後の皇帝24-レパント英雄の出自

1546年6月にレーゲンスブルクで開催された帝国議会には、もはやルター派諸侯は代理人しか送ってこなかった。皇帝カールは最後の和解のチャンスと思っていたが、実際ルターが亡くなり、新教側はカリスマリーダーを失って、その立て直しでせいいっぱいで討論などできなかったのだ。

皇帝はここで戦争へのハラを決めた。新教派のいない議会において彼はザクセン選定候とヘッセン方伯という新教の中心を帝国から追放することを決定。新教諸侯はそれに対して皇帝に宣戦布告した。

カールはスペイン軍を従えており、ネーデルランドとイタリアから兵が集まるのを待って事にあたるつもりだった。その時ドイツに居る軍は新教側が多かったが、ザクセン選帝侯とヘッセン方伯の2人のリーダーの連携がとれず、先制攻撃のチャンスを逃がしてしまう。

ところでレーゲンスブルク滞在中、カールのお相手を務めた女性が居る。カールは妻イザベル亡き後喪の黒服を着ていたが、このバルバラ・ブロムベルクには違ったようだ。翌年彼女は男子を生み、庶子としてスペインに引き取られた。この子こそレパントの戦いの総司令官ドン・ファン公その人である。。

下は「カルロス華麗なる帝国の覇者」よりバルバラちゃんにユーワクされる真面目な皇帝

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。