英国離婚王8-嫡男誕生の後また再婚

カールとフランソワの激突でまた運命が変わった。カルヴァンはパリに潜入し、弟妹を連れてストラスブールに引っ越そうと思った。ところがその道が戦争のためにふさがってしまったのだ。彼はジュネーブを通って帰ろうとするが、騒乱のさ中であったジュネーブの改革運動に強制的に参加させられる。

当時ジュネーブは独立した小共和国で、強力なベルン市の後押しで市参事会が新教に改宗すると決議したが、方針は定まっていなかった。ここで頭角を現したカルヴァンは、1537年「教会規則」を作成。そしてなんと全市民の信仰告白を強制した。市民は反発し、カルヴァンは市を追放されてしまった。

そして38年、カールとフランソワが和解したことで運命が変わったのはヘンリー8世である。英王は、三度目の妻ジェイン・シーモアとは順調で、37年に待望の男子エドワードを授かった。ところが、王妃は産後の病で、亡くなってしまう、ロンドンっ子達は、これも喪も明けずに結婚した呪いと噂した。

マキャベリストのクロムウェルは、大陸でのイングランドの足場を守るためだけに身もフタもない政略結婚を企画した。ドイツプロテスタントのヨハン3世の娘アン・オブ・クレーブスである。40年に結婚した4度目の妻とは、まるで何の関係もなかったので、ヘンリー8世が全て「エロ男」ではないようだ。

下左はエドワードの誕生右アン・オブ・クレーブス

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。