アウグスブルク帝国会議は何はともあれ、ドイツに新旧勢力均衡を作りだしていた。カール5世はイタリアで教皇クレメンス7世に会って公会議を強く要請した。教皇は承諾し、人のよい皇帝は今度こそ実行するだろうと安心したが、まるで何もしていなかった。
教皇が何もしていないのは英国の事態に対しても同じだった。ヘンリー8世の離婚問題は、欧州有名大学の論争問題だった。モアは議会にその論争の経緯を発表したが、彼個人の見解を問われて「国王はご存知だ」と言ったきりだった。そして英国教会のヴァチカンへの上納金の審議が議会にかけられた。
この議案を審議する中で、英王は突然「聖職者は王ではなく、教皇に忠誠を誓っている」と今更ながら発見した。1532年5月15日、大司教区会議において、聖職者は完全に王に従うことを発表したが、これは8世治世だけのつもりだった。翌日モアはついに大法官を辞任した。
北欧では反ヴァチカンからルター派が勢力を拡大していた。フランス王フランソワ1世はドイツの新教シュマルカルデン同盟を扇動していたが、お膝元のパリでは、姉が新教の説教師に公然と宮廷内で説教をさせていた。そのムードのパリに居たのがジャン・カルヴァンである。
下左はトレードマークの大法官メダルを外したモア右は後年の作いかにも切れ者っぽいカルヴァン
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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