ヴュルツヴルクに凱旋した司教コンラートによって、加担者への粛清が実行された。それは、降伏して開城したリーメンシュナイダーら市参事員も含まれ150人にのぼった。逮捕者には拷問が加えられたが、リーメンシュナイダーは罪を認めなかった。
処刑は50人以上に上ったが、彼は死刑は免れ、一説によれば指を折られ二度と彫刻ができないようにされたという。いずれにしても、彼は二度と彫刻をすることがなかった。そして歴史の中に忘れられた。ダ・ヴィンチもミケランジェロも結構政治的にはやらかしているが、罰は受けなかった。やはりドイツでは職人と見られていたのだろう。
さて、中部ドイツミュールハウゼンでも、農民反乱が起きていたが、ここにはトマス・ミュンツァーら再洗礼派が関わっていた。ミュンツァーは各地に檄文を送り、蜂起を促した。しかし三国志時代の黄巾軍や、最近の中東でもそうだったように、農民軍は統率を欠き、次第に貴族や修道院襲撃でものを獲ることに熱中するようになった。
諸侯の軍は統一され、農民軍に向かっていた。1525年5月16日、フランケンハウゼンの戦いが起こった。取り囲む諸侯軍は降伏を勧告、農民たちが揉めている間に、刻限を待たず、騎兵の突撃が開始され、農民軍は逃げるだけだった。
下左はリーメンシュナイダー作イタリアとは違う聖母マリア、右泣く女
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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