帝国対王国19-ウィーン二重結婚で帝国誕生

皇帝マクシミリアン1世は、1513年ついに宿敵ルイ12世をブルゴーニュのギネガテで破り一矢報いた。この地はまだ21歳のマックスが、ブルゴーニュの姫を守り、フランスを撃破した地であった。今や50歳を過ぎ、皇帝は兜を脱いで白髪を見せ「まだ老いていないことを見せよう」と敵陣に突進したという。

またこの戦いにはヘンリー8世も参戦した。これは大法官トマス・ウルジーの戦略で、大陸に覇権国を出さないという英国の基本戦略である。しかし若い英王は自分のデモンストレーションのつもりだったようだ。

ルイ12世はミラノを放棄したが、新王フランソワ1世になるとあっさり奪還してしまった。16年に皇帝は兵をあげたが、最新鋭の大砲に全く歯が立たず退却した。そしてフランスはヴェネツィア連合軍と、その勢いのまま、プレシア、ヴェローナをまた皇帝から奪還した、何というシーソーゲーム。

しかし結婚政策は強いハプスブルク。ハンガリーとボヘミア王ウラースーロ2世の嫡男ラヨシュが皇帝の孫マリアと結婚、マリアの兄のフェルディナンドがウラースーロ2世の娘アンナと結婚した。このウィーン二重結婚によって、もう少しするとボヘミアとハンガリーがハプスブルクに転がりこみ、ハプスブルク帝国ができあがるのである

下はウィーン2重結婚

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。