カブラル艦隊が帰国の後、ポルトガル王マヌエル1世は悩むが、結局イスラムの武力封鎖を決断した。インド洋から紅海まで、イスラム迎撃のアメリカ第五艦隊じゃなかった、回遊する艦隊も含めて派遣することを決定した。その決定にカブラルが反対したもので、おはちはまたヴァスコ・ダ・ガマに回ってきた。
1502年2月に艦隊は出発したが、今度は「力ありき」である。アフリカ東海岸のキルワに到着するや、街を砲撃し、現地王を屈服させて、ポルトガルに金の支払いを約束させて植民地にしてしまった。インド洋に到着しても、前回「敵対」したカリカットの船は拿捕したり、沈めたりした。
カリカットは、イスラム商人を追放せよという強引な要求に回答せず、結局ガマは街を砲撃した。また伯父ヴィンセント・ソードレの艦隊に命じて港湾封鎖を実施した。この強硬な封鎖は命がけの反攻を呼び起こし、ガマの艦隊は撤退せざるを得なくなった。
コチンとカナノールは友好的に迎えられ、ここで胡椒や香料の値段を取り決め、ポルトガル商館を設置した。そして伯父ソードレを残し、イスラム商人取り締りの周回を常時行うことにした。ガマの第二回航海はその後の、西洋の武力強圧路線の開始を告げるものであった。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント