1504年5月4日にダ・ヴィンチの契約は締結された、市の担当者はマキャベリ。画稿完成は05年2月末まで、完成しないときはそれまでの報酬の返還を市は請求できる。細かい契約条項は、ダ・ヴィンチの遅筆を心配して完成しないことを考慮したものである。そしてもう一つの保険はミケランジェロだった。
実際ダ・ヴィンチの関心は、アルノ川の改修工事にあり、それどころか、ここで有名な飛翔の研究をしているのだ。確かにミラノのルドヴィコからチェーザレまで、彼らに託した自分の夢は潰え、鳥になって飛んでいきたい気分だったのかもしれない、実際に飛ぼうとするのがいかにもだが。
しかし、画稿は間に会ったのである。現在残っている模写を見ると、それはありきたりの勝利の場面ではなく、壮烈な戦闘の場面である。実際ミラノでも、イルモーラでも、ダ・ヴィンチは戦闘の場面に直面しただろう。彼は冷静に戦争とはこういうものだと提示し、もしかするとその虚しさも思っていたかもしれない。
ミケランジェロは、ダ・ヴィンチの画稿を観てから、休息して水浴をしている中で急襲の報を聞き、急いで戦闘をしようとする姿を裸体で表した。後ろ姿が多いのはメインのダ・ヴィンチへの敬意とされる。ところが結局、ダ・ヴィンチは新しい絵具で描くことに失敗し、ミラノに出て行ってしまった。ミケランジェロもこれを完成させることはなかった。
下は「カッシーナの戦い」の下絵サンガロによる模写
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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