万能の人8-故郷カムバック聖アンナと聖母子

チェーザレはその後、かなり苦戦しながら1501年4月に、ロマーニャ地方一帯を制圧した。ここはもともと教皇領である。父アレクサンデル6世は、息子をロマーニャ公爵に任じた。この地方はローマからイタリアを南北に結ぶエミーリャ街道の要衝であり、すぐ北にボローニャ、南にフィレンツェがある。

ボローニャはルイ12世に使者を送り、兵士や馬を軍事支援することで和睦した。フィレンツェには、領内通行の自由を要請したが、フィレンツェは拒否。そこでチェーザレは軍をフィレンツェに向けた。あわてふためいたフィレンツェは、フランス仲介のもとチェーザレを高給を出して傭兵隊長にして決着した。

1500年3月、ダ・ヴィンチはそのフィレンツェに帰還した。彼はここでは無名、師のリッピに、修道院の絵の仕事を譲ってくれといい、人のよい師匠は承諾した。ダ・ヴィンチの描いた下絵は、聖母と祖母アンナ、キリストが複雑に絡み合っている絵で、それが公開されるや大評判をとった。

1501年、ミケランジェロもフィレンツェに帰還した。彼もダ・ヴィンチのこの下絵を見て自分でデッサンを残している。この影響は、その後「ドーニの聖母子」でキリストを通じて結びつく絵をつくることになる。しかしダ・ヴィンチのほうの絵はここでは完成しなかった。そして、侵略に怯えるフィレンツェは、ミケランジェロにダヴィデ像を依頼する。

下左はダ・ヴィンチの「聖アンナと聖母子(下絵)」右はミケランジェロの「聖家族」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。