春の嵐7-チェーザレが女傑要塞を征服

1499年11月25日、チェーザレの軍は住民達の歓呼に包まれてイーモラ入りした。カテリーナの強圧政治ですっかり民心は離れていた。マキャベリは、防戦を真剣に考えるなら、城壁に金を使うよりも、民心を確保するために使うべきだった、と書いている。要塞には手こずったが、結局は降伏した。

そしていよいよカテリーナの居城フォルリである。彼女にも降伏勧告を出し、年金付の一生を保障すると書いたが、強気な彼女は拒絶した。そこで砲撃が始まった。数日後、カテリーナは堀の前まで出てきて、話し合いたいと誘うので、チェーザレが行こうとすると、彼の目の前で橋が上がった。もう少しで捕虜になるところだった。

しかし金をかけただけはある。要塞は堅固でなかなか落ちず、1カ月も持ちこたえた。それだけあれば外からの援軍が来るはずだが、叔父のイル・モーロは捕えられ、強気な彼女は一族とも疎遠だったし、評判もよくなかった。

翌1500年1月12日、カテリーナは自らも刀を取って戦ったが、部下に裏切られて捕えられた。チェーザレは、この女性を2日間にわたってレイプした、と言われている。その後彼女はローマの修道院に入れられて死去した。なおゲームでは、アサシンがサンタンジェロ城に潜入して、彼女を救い出すことになっている。

下はドラマ「ボルジア家」よりカテリーナ・スフォルツァの雄姿

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。