ミラノに居たダ・ヴィンチは、ルイ12世の最初の占領で、ミラノを脱出した。しかしルイ12世はこの高名な芸術家を厚遇しようとしたらしい。「最後の晩餐」に感激して、フランスに持って帰れないのを嘆き、ダヴィンチをフランスに招待したがこのときは気乗りしなかった。
ダ・ヴィンチとルドヴィコはどちらも自己中心だったが、気が合っていたようだ。ルドヴィコの愛人には「描いてもらってるだけでありがたいと思え」と言っている。ミラノを出たダ・ヴィンチは、マントヴァのイザベラ・デステのもとに身を寄せ、彼女の肖像画のデッサンを描いた。
この肖像画の仕上げは結局できなかったと考えられたが、2013年スイス銀行から発見された絵画がそれではないか、と論議の的になっている。さらにヴェネツィアでは、軍事技術者としてダムの設計に携わったが、1500年に故郷フィレンツェに帰った。この時代に描かれたかもしれないのが2008年ナポリで発見された「幻の自画像」である。
この自画像はウフィッツィ美術館の模写の真作と考えられている。科学的鑑定はダ・ヴィンチの時代と一致し、左ききの文字がある。しかし顔の左右が少しずれている。発見した学者の説では、何と左右の視差を計算していたということで、そのため八角形の鏡張ユニットをつくったかもしれないらしい。後期モナリザにつながる肖像画の研究を自分の顔で試していたのだろうか?
下左は幻の自画像、右は幻のイザベラ・デステの肖像
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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