1485年に即位したヘンリー7世、彼は赤バラと白バラを合体させ、テューダー朝を開いた。めでたしめでたしと言いたいが、リチャード3世を倒して王位に着いた彼の基盤は脆弱。彼の王位継承権も母方のものでかなり微妙であり、即位後は簒奪者が相次いだ。
1486年にはランバート・シムネル、1490年にはパーキン・ウォーべックが「我こそは正当な王」と反乱を起こし、その都度貴族や、フランスや神聖ローマの支持を得て政権を脅かした。そんなことで内政に力を入れざるを得なかったのだ。議会は毎年開催した。
またフランスと条約を締結、フランス内に失った領土を放棄する代わりに、年金を受け取ることを約束。そして1489年にスペインと条約を締結、皇太子に嫁をアラゴン王家からもらうことで同盟を強化し、フランスを牽制した。大陸と距離を置くイギリスの位置は、ヘンリー7世によってつくられた。
そして王は大航海時代を見据えていた。世界初の船ドックを建設。コロンブスと同じジェノヴァ出身のジョン・カボットに特許状を与え、同じように西へ航海させた。1497年、ガボットは北米のニューファンドランドとカナダのラブラドル半島に到達。これが、イギリスが北米を領土とする根拠となるのである。
下はニューファンドランドのジョン・カボット像
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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