コンスタンチノープルはイスタンブールになった。メフメト2世は、キリスト教の聖堂にミナレットを建てイスラム寺院に改装すると同時に、イスラム寺院を建立した。1470年に完成したファーティフ・ジャミーは、ビザンチンのアヤソフィアを真似た独特の寺院となり、これを中心にイスラム学院がつくられた。
スルタンはバザールや隊商宿、蒸し風呂の収益を公共事業にあて、街は復興していった。グランバザールの原型ができたのも彼の御世である。キリスト教、ギリシャ正教、ユダヤ教徒もそれぞれの街区を持ち、バザールは東西交易の街として活気を呈した。そしてスルタンは壮麗なトプカプ宮殿の建設に着手した。
彼は領内の優秀なキリスト教徒子弟を強制徴用し「カプ・クル(スルタンの奴隷)」として改宗させられ、その能力に応じて、官僚やイェニチェリとして教育され、登用されていった。こうして中央集権化がすすむこととなったのだ。
スルタンは、初めて「カーヌーン・ナーメ」というイスラム法令文書を定め、治世を安定化させ、法治主義を行った。これにはイスラムだけでなく、他の教徒の権利も書かれており、オスマンの多宗多民族統治の基盤となった。スルタンがそれで満足するはずがない。バルカン侵攻は抵抗に会ったが、次は海軍である。
下はファーティフ・ジャミー
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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