聖都陥落9-ロシアが聖都後継を宣言

コンスタンチノープル陥落に大きな影響を受けた国はまだあった。それは東の大国となるロシアである。1480年モスクワ大公国のイヴァン3世は、ついにキプチャク汗国からの独立を宣言した。それは1380年のクリコヴォの戦いの勝利に遡る。その勝利に貢献したのはロシアの最も偉大な聖人の一人とされる聖セルゲイである。

聖セルゲイは、20歳まで農民として生活して、森で兄と共に修道生活を行った。その生活を見て、多くの修道士が集まり、モスクワ大主教は修道院許可を与える。さらに領主にも訓戒を与えることがあった。クリコヴァの戦いの前に大公ドミトリー=ドンスコイは、戦をする諸侯を連れて聖人に会いに行った。そして聖人は神が助けるだろう、と告げたのである。

この勝利の後にロシアの教会が復活し始めた。そしてドミトリーのひ孫のイヴァン3世のときにコンスタンチノープルが崩壊した。ロシアはこれを西方教会に東方教会が屈服したからだ、と解釈した。そして1472年、大公は最後のビザンティン皇帝の姪ソフィアと再婚、自らを「皇帝(ツァーリ)」と称し、皇帝の紋章である双頭の鷲を使った。

もともとこの結婚は、教皇パウルス2世が、ロシアをカトリックに改宗させるために勧めたものだったが、全くあてが違った。1480年、ウグラ河畔の戦いでタタールに勝利し、西方のリトアニア領に進軍していった。同時に皇后ソフィアはイタリア人建築家を呼び寄せて、現在のモスクワに見る「ネギ坊主」の大聖堂が建築され、華麗な都市へと生まれ変わる。西方と違ったロシアの歩みはこのときから始まったといってよい。

下はドミトリー=ドンスコイに祝福を与える聖セルゲイ

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。