聖都陥落6-コンスタンチノープル遂に陥落

メフメト2世は、曾祖父が築いた要塞の対岸にも要塞を築いてボスポラス海峡を封鎖、援軍を遮断して10万人ともいわれる圧倒的兵力を結集してコンスタンチノープル攻略を開始した。しかし難攻不落を誇るこの城塞はなかなか落ちない。

金角湾に張られた鉄鎖に苦戦したオスマンは、なんと72隻の船を一時陸揚げして、湾内に運び込むという奇策も実行。それでもまだ落ちない。以前十字軍に攻略されたときは皇帝が逃げ出したが、今回の皇帝は逃げずに指揮をとる。そこで出て来たのがハンガリー人ウルバンが作った長さ8m直径75cmの通称ウルバンの巨砲であった。

この巨砲は実際命中精度が悪かったが、ともかくこれと人海戦術をエディルネ門に集中させ、1453年5月29日の明け方、門が突破され、皇帝も戦死して、ビザンティン帝国はここに滅亡した。

通常入城では3日間の略奪が許されるが、スルタンはそれを最小限に留め、旧ビザンツ貴族には自ら身代金を払って解放した。また住民についても以前からの信仰を許し、安全を保障した。この都市のムスリム比率は60%で20世紀でも変わっていない。正教会全地総主教庁は今もここにある。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。