コンスタンチノープル陥落の衝撃はヨーロッパを駆け巡った。特にイタリアは、地中海貿易の強力なライバルが出現して、都市同士で争っている場合ではなくなった。こうしてイタリアの平和と均衡が訪れ、フィレンツェなどの繁栄の基礎となるのである。
またヴェネツィアは、オスマンと直接敵対した結果、貿易が途切れ新しい方向を模索せざるを得なくなった。1456年メフメト2世はベオグラードを包囲、しかしイタリアの支援を得てまたしても立ちはだかったルーマニア出身の勇将フニャディ・ヤーノシュに敗退し、侵攻は頓挫した。
フニャディ・ヤーノシュの軍の主体は実はフスの残党であり、彼はフス戦争で、ヤン・ジュシカの革新した戦法を受け継いで勝利したのである。例の四輪戦車も取り入れている。この勝利によって彼は名声を高め、この記念日を教会は祝うようになった。
アルバニアではスカンダル・ベグが抵抗した。そしてワラキアで抵抗したのがあのドラキュラ伯爵ことヴラド3世である。1462年の戦いではメフメト2世の首を狙って夜襲を敢行。そしてその後スルタンが見たのはオスマン兵の串刺しの林で、彼は戦意を喪失して帰還した。だが彼らが死去するとオスマンに臣従した。
ドラキュラ城として知られるブラン城だがヴラド3世はここに住んではいなかったようだ
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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