帝国対王国1-我慢の男ハプスブルク戴冠

その頃ドイツでは政権交代が起き、1452年ハプスブルク家のフリードリヒ3世が130年ぶりに宿願の神聖ローマ皇帝となった。ついにハプスブルクの威光輝けり、と思いきや、なんとこの男、わずか3州の貧しい領地で、常に借金に追いまわされ、凡庸な男だという評価だから帝位についたようだ。生涯数多くの蔑称を受け、死後は「神聖ローマ帝国の大愚図」という名が贈られた。

彼は戴冠式と結婚式を同時に行ったが、とにかくケチで貧乏で、結婚の使者は花嫁の故国ポルトガルに乞食同然でたどりついたとか、戴冠の費用を教皇に出させたとか、嫁に「ワインをストレートで飲むな」と言ったとか、食事が豆と芋ばっかだったとか、ひどい評判だった。

しかし徳川家康ではないが、この粗食とケチさに鍛えられた忍耐力と寿命が幸いして、彼が栄光のハプスブルク家の時代を切り開くのだから運命わからんものである。しかし当時は茨の道も甚だしい。ムラト2世のもとで再建強化されたオスマンは、1444年ヴァルナの戦いで、ハンガリー他の東欧キリスト教十字軍を打ち破った。

48年にはオスマンはルーマニアを撃退し、ヴァルカンを手中に収め、ボヘミアにまで圧迫の手を強めた。1451年、ムラト2世は崩御し、ついにメフメト2世が19歳で再度スルタンとなった。彼は12歳のときにスルタンを譲られたが、十字軍が攻め込むので父が復活したのだった。野望に燃えた新スルタンは、コンスタンチノープルを望むが、神聖ローマ皇帝は、まるで関心がなかった。

下はフリードリヒ3世の結婚イケメンっぽいが実はハプスブルク伝統のシャクレ顎

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。