イタリアの春3-プラトンアカデミーを創った男

コシモ・デ・メディチのもとで、フィレンツェ経済は絶好調。それもヴァチカンのおかげだが、下に敷かれるのは真っ平。なんとか独立を維持したい。もとよりフィレンツェは自由主義の気風が強い。1439年、コシモはフィレンツェにサミットじゃない、公会議を誘致し、盛大なイベントを催した。

その公会議の議題は東西教会の合同だった、オスマンの圧力は日ごとに強まり、ビザンティンは西欧の支援を必要としたのだ。そこへビザンティン皇帝と共に来たのがグレゴリウス・ゲミストス・プレトンで、何と彼はキリスト教を信ぜず、プラトン主義者。彼は公会議をまぜっかえしたが、コシモが目をつける。

1440年、このプレトンを筆頭に、フィレンツェで「プラトンアカデミア」が創設された、本場のギリシャ人でっせ、というわけだ。ローマにも勝る権威である。その目的は「キリスト教とギリシャ精神の融合」。これまでもキリスト教はギリシャ哲学を取り入れてきたが、あくまでキリスト教のツールとして。しかしこれは新プラトン主義哲学のもとにキリスト教を融和させる。

このプラトン主義は、美へのプラトンの愛(プラトニックラブ)によって人間は神に近づけるという、より人間中心的な思想であった。経済が発展しているフィレンツェは、人間はもっとできるんだ、という楽観ムードに満ちていた。

下はルネサンス思想を表現したラファエロ作「アテネの学堂」中心部分

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。