テューダー朝誕生1-英国で薔薇戦争勃発

今日、英国がフランス領土を喪失したことは、大陸の争いに直接かかわらず世界をめざせた、とポジティブに受け止められている。しかし当時はそんなことはなかった。和平派首領のサフォーク公は追放の上暗殺。引き継いだサマーセット公に、1450年ジャック・ケイドの乱が襲いかかった。

ケイドは主戦派のヨーク公を支持して、ケイドの民を率いてロンドンを襲撃し、ヨーク公の復帰を叫んだ。ケイドの群衆は結局暴徒と化したため、ロンドン橋の戦いで殺害された。しかし王と王妃はヨーク公リチャードの議会復帰と王位継承権を認め、53年に王が精神錯乱を起こすと、ますます混乱を極めた。

1455年ヨーク公は、実力行使を実施、5月11日にセントオールバンズの戦いに勝利し、サフォーク公を敗死させて、議会によって護国卿に任命されて実権を握った。王ヘンリー6世は何もできなかったが、なぜかフランスから来た王妃マーガレットが実権を握り、1459年ヨーク公追討の軍を起こし、勝利して権力を回復した。

ヨーク公リチャードらは逃れて、1460年6月、ウォーリック伯リチャードネヴィルらと反撃を開始し、王軍をうち破って国王を逮捕、ヘンリー6世の没後は、リチャードが王位を継承することが定められた。しかし王妃マーガレットは逃亡して、白薔薇ヨーク家Vs赤薔薇ランカスター家の薔薇戦争はまだまだ続くのだった。

下はヘンリー・ペイン作。シェークスピアヘンリー6世の一場面。ヨーク公リチャードが白薔薇を選び、サマセット公エドムンドは赤薔薇を選ぶ

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