オルレアンの少女29-ジャンヌ軍解体匪賊討伐

ジャンヌのいとしのアランソン候は、ノルマンディー遠征に行かされてしまう。候はジャンヌも連れていくことを希望したが、国王が許すわけがない。トップが猜疑心を免れるのは難しい。もしジャンヌと候が一緒になって反乱したら、と考えるのは性(サガ)というものだ。ジャンヌは宮廷内のTPOには無縁で行動するが、そもそも古来から預言者とはそういうものだ。

ジル・ド・レエも、元帥に任じられたくせに、パリ攻囲戦のあと、国王に嫌気がさして領地にひっこんでしまった。王側近のラ・トレモイユあたりが、ジャンヌを匪賊狩りに使おうと提案したらしい。当時のフランスは、現在のシリアやソマリアのように国が荒れる中で、傭兵崩れが勝手に城を占拠して自分の国をつくっていた。

その代表というのがバグダーティじゃない、ペリネ・グルサールで、ライールやザントライユは主力軍に残り、だいぶ武将は間引きされたが相変わらず忠実な副官ジャン・ドーロン達と共に、ブーリュジュ東、ヌヴェール近くのサンピエール・ラ・ムーティエに赴いた。しかしこの副官が居たので、ジャンヌの伝記がきちんとできるわけなのだが。

この攻略は敵の反撃にあってなかなかうまくいかなかった。ドーロンが退却を勧めると、「粗朶束や柵をもってこさせて」と言う。これで従うのだからかわいいヤツである。ジャンヌが「者ども橋をかけるぞ!」と号令すると、城に渡る橋がまたたく間にできてしまい、城は落ちたのである。

下はここにもあるサンピエール・ラ・ムーティエのジャンヌ像

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。