オルレアンの少女28-ジャンヌ、パリ攻撃失敗

ジャンヌはたまりかねている。コンピエーニュで、アランソン候に「いとしの候よ、パリを近くで見ておきたいのです」と言って、サンドニまで一緒に軍をすすめた。8月26日から、小競り合いを仕掛け、その間ジャンヌはパリの防備を見分した。仏王はしぶしぶサンリスまで兵をすすめ、アランソン候がその間を往復した。

9月8日、ジャンヌ、ジル・ド・レエ、ゴンクールらがパリ攻撃を開始、市内は、阿鼻叫喚に包まれ、市内でも「逃げろ」という声が響いた。守備兵は必死にありとあらゆる飛び道具をあびせかけ、昼ごろジャンヌは弩の矢があたって負傷した。仏王はサンドニまで兵をすすめたが、そこから一歩たりとも兵をすすめる気はなかった。これは歴史家もブーイングを浴びせている。

やはりパリの守備は堅く、この兵で1日では落ちない。ジャンヌが宿営に帰ると仏王から撤退命令が届いていた。ジャンヌ初めての敗北であり、交渉派の勝利であった。仏王は、彼の本拠への帰還に際して、せっかく集まった軍をそれぞれのところに解散させてしまった。そしてランスなどにもブルゴーニュが約束を違えれば「大軍を率いてくる」と空約束をした。

帰りの行軍は、パリからランス間を36日もかけるという大名行列であった。そして結局ブールジュに戻ってきてしまい、ジャンヌには3週間の休暇が与えられた。善男善女たちが、神の使いに祝福してもらおうと、ジャンヌのもとにわんさか訪れた。ジャンヌは笑って、宿泊している家の妻に「ご自分で触ってあげてくださいませ。私でも貴女でもいいことがおこりますよ」と言った。

下はルーブル前の黄金のジャンヌ・ダルク像。彼女はここからルーブル要塞に攻撃をした

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。