シャルルのこの戴冠は欧州中に衝撃を与えた、そして当然ジャンヌの名と共に。最初の女流文筆家クリスティーヌ・ド・ピザンは、「この時1429年 朝日は再び輝けり」と有名な言葉を残し、なんと448行にも及ぶ長編叙事詩を書いた、「乙女はただの羊飼いなれど 武勲(いさおし)はいかなるローマ人にも勝れり」。
散文詩の創始者といわれるアラン・シャルティエも、「ああ妙なる乙女よ 汝こそは王国の威光、百合の光、ただフランス人のみならず すべての騎士スト教徒の光明にして栄光なればなり」と書いた。確かに史上どこにもないヒロインの誕生である。神聖ローマの宮廷からイタリア商人達まで大仰天であり、噂がいきかった。
この戴冠に来ていなかった者が面白い。まず王妃、名目は危険ということだが、実は英国のせいで、英国が女系の相続を主張したので、王妃の地位は低下するのだ。ライバルのブルゴーニュ候はやはり来ない。リッシュモン元帥、彼と対立する侍従長ラ・トレムイユの力が王に及んでいる。そして聖職者の大物コーション司教、後にジャンヌの処刑裁判の主役となる永遠の悪のヒーローである。
しかし栄光の一日が終わるとジャンヌは「私の創造主の神様がここらで身をひくことをお許し下さらないものかしら。武器を捨てて父母の手伝いに戻り、羊の番をしたり、兄や妹たちと一緒に居られれば、どれほど皆はまた喜んでくれるでしょう」と帰り路に言ったとル・バタール・ドルレアンが証言している。神に与えられた任務は終わり、彼女がただの乙女に戻った一瞬であった、ああジャンヌ!
下はランス教会の中のジャンヌ像。戦闘シーンではなく、じっと眼をとじて黙想している姿が印象的
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント