カタリナは「八聖人戦争」をやめるよう手紙を書き、ホークウッドのもとへもカプアが説得にいっている。戦争は、強力な傭兵隊を持ったフィレンツェが優位に立ったが、アヴィニョンの教皇はフィレンツェを破門し、各都市のフィレンツェの財産の差し押さえを許した。フィレンツェの経済はゆきづまることになった。
八人委員会は、人文主義者を出して煽ったが、やがて穏健派が台頭し、教皇と和平を志向するようになった。そこでカタリナにお願いに来たのだから虫がいいものである。カタリナはルッカにも平和を訴える手紙を書き和平を願った。また教皇にも、慈悲をもって戦争をやめるよう手紙を書いていたのである。イタリアと教皇の間で心は引き裂かれ「死にかかっても死に切れない」と嘆いた。
カタリナは、キリストが嬉しい使者を送るという夢を見て、フィレンツェと教皇の和解を仲介する役を受けた。そのためまず使者として、聖職者であるカプアがアヴィニョンに行き、折衝することになった。一介の染物屋の娘の使者が立派な聖職者というのも妙な話だったのだが。
カプアは妨害の中を、何とか教皇と直に会うことができ、温和な態度に希望を持つことができた。カタリナは教皇に手紙を書き、1376年5月にシエナを出発して、7月18日にアヴィニョンに到着した。一介の染物屋の娘がとうとう教皇に面会する日が来たのである。
下はペルゴリーニ作「教皇の前の聖カタリナ」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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