シエナの聖女5-有力者も死刑囚も神の愛へ

シエナではカタリナの周りにファンが集まってきた、フランシスコ会の僧とか詩人とか人文学者とか。教会でもないのに染物屋の前は毎日人だかり。さらに噂をきいたイタリア有力者などからも手紙が来るようになる。この返事の手紙は初期トスカナ語の文学の傑作といわれている、学のない染物屋の娘がである。

恐らく口頭でも同じことを言っただろう。彼女の言葉は美しいイメージにあふれた神への熱烈な愛である。恐らくイタリア語で読めば例えようもなく美しく神の世界が見えるだろう。確かにペトラルカとは違った意味で新しい。教皇がおらず、ペストに荒れ果てたイタリアにとって彼女はまさに希望だったろう。

そしてシエナが一変する。不信仰で野次ろうとして来た者は教会に行き、大酒飲みはカタリナの夢を見て懺悔をする。シエナので争う貴族達は、教会でカタリナの祈る姿を見て喧嘩を止めた。そして、何と死刑が決まった罪人がカタリナに会いたいという。彼女は罪人を安心させ、処刑に立ち会い、切断された頭を抱いた。

1370年、カタリナは愛する神の命に従い、シエナを出て北イタリアを訪問するようになる。この年スウェーデンのビルギッタに修道院設立の許可が下り、彼女はエルサレム巡礼に行き、ローマで73年に帰天した。2人が会ったかどうかはわからないが、跡継ぎにタッチ交代して満足していただろう。-

下は映画「シエナのカタリナ」より死刑囚とカタリナ

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。