百年戦争8-授乳する聖母の賢夫人

英王エドワード3世には、賢夫人フィリッパ・オブ・エノーが居た。彼女は仏王フィリップ6世の血縁でもあったから複雑である。彼女の父はフランドルの伯爵で、英王とは15歳で出会った。彼女のおかげで英は、フランドルに強力な縁ができ、また彼女はフランドルの職工を英に連れてきて、嫁ぎ先にも毛織物工業を起こした。マンチェスターは彼女のおかげで栄えたのである。

彼女は、12人の子を産み、すべて乳母を使わず母乳で育てたので、当時流行していた「授乳する聖母」のモデルともなった。そしてその長男が有名な褐色の肌を持った「エドワード黒太子」である。彼は、16歳にして、クレシーの戦いに参加して武功をあげた。ついでに言うと王妃も戦いに同行し、戦争のさ中に出産している。

クレシーの戦いに勝利後、直属軍として「ガーター騎士団」を創設した。名の由来は、王の大舞踏会で、絶世の美女ジョワンがガーターを落としたときに、王が拾って自分に付けたことから「他人の窮地を助ける」という精神を表したものとしていわれたという。現在では騎士の最高勲章「ガーター勲章」に名を残している。

1355年、英仏の交渉が決裂して、戦端が開かれた。先陣を切るはエドワード黒太子、ところが王はスコットランドが手こずってフランスに渡れなくなった。さらにブルターニュから来るはずの別軍とも合流できなくなった。英雄伝説が今始まる。

下は授乳する聖母の傑作ダヴィンチ作「リッタの聖母」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。