フランチェスコ・ペトラルカは、ダンテより1時代後の人。彼の父はダンテと同じく政争に負けてフィレンツェを追放され、アビニョンのクレメンス5世に従っていた。26年に父の死で彼はアビニョンに戻るが、翌年彼の永遠の恋人ラウラと出会う、と言っても教会で顔を見た程度。だが彼は純愛に悶える。
ラウラは48年、この町を襲ったペストで亡くなってしまったのだ。彼は一生、彼女を思い続け、詩を書くことになる。彼の恋愛はダンテのように、普遍愛まで昇華せず、あくまで自分だけの愛であり、苦しみ、喜ぶ素直な個人愛である。彼はラテン語の古典研究が専門だったが実際に共感を呼んだのはこの抒情詩だった。
ボッカチオの青春にはペトラルカの詩は有名だった。彼も負けずに書こうとするが、お相手はナポリの奔放な人妻だった。それも商人の庶子だった金目当てで金の切れ目が縁の切れ目。残念ながらあまりいいものは書けずフィレンツェに戻った。
しかしペストの大変動、この中でボッカチオは「デカメロン」を書きあげ、ダンテの「神曲」に対し「人曲」と呼ばれた。ペストを避けて別荘に逃れた10人の男女の語る短編だが、浮気をする男女、修道女を罰しようとして自分のエッチが見つかる院長、お堅すぎる裁判官が、女房を満足されず寝取られる話。皆のリアルはこんなもの、エエカッコの嘘よりも現世でホンネで生きる精神を肯定した。
ラウラとペトラルカは美しい絵が描かれているが、下はクリムト作、ぺトラルカのソネット「死と生」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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