ペスト襲来3-ドーバー海峡を越えて侵入

ドーバー海峡もペストのイギリス侵入を防ぐ障壁とはならなかった。というかむしろペストは旧来の所領フランス南部のガスコーニュ地方から海経由で侵入したようだ。1348年だというからフランスとほぼ同時である。ブリストル、サウザンプトン、プリマス、というサッカーで知られる南部港湾都市はのきなみ犯された。プレミアで優勝した内陸都市レスターにも侵入している。

ブリストルでは特にひどく、市民3人に一人が犠牲になったようだ。しかし聖職者は2人に1人、というのは臨終に立ちあわねばならなかったからである。聖職者がなくなったので、司教はその場に立ち会った者が最後の告解をきくことができるお触れを出した。そしてその年の9月にはついにペストはロンドンに達した。

当時のロンドンの人口は5万人で最大の都市。それまでにもロンドンは都市問題に悩まされ、市のテムズ川支流のフリート川は汚物でせき止められる状態だったようで、市にはゴミが積み上げられていたらしい。ペストは毎日200人もしくは300人の犠牲者を出したと記録されている。ウェストミンスター大聖堂の修道院長も亡くなり、司教座参事会7人のうち3人が欠員となった。

王族ではエドワード3世王女ジョアンがカスティーリア王国と結婚する途上で亡くなったがそれ以外は無事。しかし王家は戦争の借金ですでにひっ迫しており、農民にも重要輸出産業である羊毛にも大被害がもたらされ、このダメージは次の時代に爆発することになる。

下はロンドンのペスト

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。