神聖ローマでは、1306年にハプスブルク家のアルブレヒト1世が暗殺された後、今度こそはこの家に渡してなるものかと、またルクセンブルク伯にすぎなかったハインリヒをかつぎ、ハインリヒ7世として即位させた。ところがどっこい彼も強者なのである。彼はまず反乱を口実に、スイスをハプスブルクから独立させ、その一部を頂戴する。
翌10年には、息子とボヘミア王の妹を結婚させて、ボヘミアも支配下におさめた。またしても帝位を占めた家は最有力諸侯にのしあがってしまったのだ。彼は皇帝に、本来の権威を取り戻すためローマで戴冠を挙行しようとする。ところがその頃教皇はアヴィニョンでフランスのものとなっており、ローマには居ないのだ。
さらにローマにはシチリア兵に占領されている。しかし彼はローマに秩序をもたらすのが皇帝の役目と心得る真面目な男で、それから2年かけてローマに入り、ラテラノ教会において枢機卿の手から戴冠式を挙行するのである。ローマ市民ややんやの喝采。そしてなんと流浪の詩人ダンテは、彼こそこの世に秩序をもたらす男と見込み、「帝政論」を著わして捧げるのであった。
ところが何というダンテの運の悪さ!ハインリヒ7世は、ローマからナポリ遠征をする途中、突然崩御してしまうのである。この死には毒殺が疑われており、フランスの例のギョーム・ド・ノガレーや、イタリアの教皇派、はたまた権力拡大を恐れたドイツ諸侯も犯人の候補となっている。ともあれ、皇帝はダンテの本を読むことはなかったのだ、無念。
下はレオンハルト・ゲイ作「ハインリヒ7世とダンテ」現実にこんなシーンはなかった。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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