ルートヴィヒ4世は皇帝戴冠と共に、ローマに対立教皇ニコラウス5世を擁立した。フリードリヒ1世時代のごとくまたしても教皇Vs皇帝。ところがこのニコラウス5世は人気がなく、イタリアで反乱が起こると逃げ出し、アヴィニョンの教皇から破門されるや、あっさり降伏して、修道服のままアヴィニョンへ出頭した。
1337年にはドイツ騎士団にポーランドやリトアニアを征服することを許すが、このことはかえってポーランド=リトアニア同盟を生み出し、やがてドイツの北方十字軍の敗北につながってゆく。38年には、皇帝の即位に教皇の戴冠は必要なしと決議を行い、強気の路線をとった。
ところがやはり国内が統一されていなければ、強気も空威張りにすぎない。42年に就任した教皇クレメンス6世は、46年に皇帝を破門し、新皇帝カール4世を擁立するという逆王手をかけた。ちなみに教皇クレメンス6世は派手好きで名を残し、世人は教皇の贅沢三昧のゴシップのネタとなったようだ。
対立皇帝カール4世は、前皇帝ハインリヒ7世の孫である。ルクセンブルク家は、皇帝位を横取りされたと、ルートヴィヒ4世を恨み、アビニョンと結託したのだった。ルートヴィヒは、教皇との和解を模索したが、1347年狩猟中の事故で急死してしまい、結局カール4世が皇帝位を継ぐことになってしまった。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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