ハインリヒ7世のあとの神聖ローマ皇帝は?またもハプスブルク家よりフリードリヒ美王が立ったが、諸侯は1313年対抗馬のヴィッテルスバッハ家のバイエルン公ルートヴィヒ4世を選挙で勝利させた。その後この二人は8年間争い、1322年のミュールドルフ近辺の戦いでルートヴィヒが大勝、その後ルートヴィヒが皇帝兼ローマ王、フリードリヒがドイツ王ということで妥協した。
ところが、それを承認しなかったのが仲の悪いローマ教皇@アヴィニョンのヨハネス22世である。教皇は皇帝を認めず、ローマ王は自分が代行すると言いだしたのだ。そんなところへある男がやってくる、名をウィリアムと言い、人呼んでオッカムのウィリアム。
ウィリアムは、イングランド生まれだが、アリストテレスに凝り過ぎて、異端審問でアヴィニョンに呼び出され、そこでも悶着して飛び出してミュンヘンに来たのだ。彼は、皇帝に会ったとき「陛下、私を剣で守ってくださるなら、私はペンでお守りします」と堂々と述べたという。
彼の援護で、「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に返しなさい」という聖書の言葉を使って、皇帝は教皇の承認は必要なしとの論理で1328年ローマ貴族の手によって戴冠した。ウィリアムは「必要でないなら仮定は少ないほうがよい」という「オッカムの剃刀」という命題で有名となり、その後の科学の発展を主導する論理をつくった。
下は中世映画「バラの名前」ショーン・コネリーの演じた探偵修道士のモデルがウィリアム・オッカムと言われている
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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