新王朝誕生5-ビザンティン内乱で没落

ビザンティン皇帝ミカエル8世パレオロゴスは、コンスタンチノープルを奪回し、さらにモンゴルが押し寄せる中で、あるときはモンゴルと結び、イスラムとも結び、シャルル・ダンジューの進撃を、フリーフドリヒ2世の残党を使ってストップさせるなど、策略に満ちた人物で、「最も狡猾なギリシア人」と呼ばれる。ともかく彼の開いたパレオゴス朝は、最後の王朝となる。

彼は娘をモンゴルのキプチャクの嫁にまでして、キプチャクと同盟をしてしのいだのである。1282年より後を継いだ息子、アンドロニコス2世は学芸の振興につとめ、パレオロゴス朝ルネサンスといわれるビザンティン文化最後の興隆期をつくった。しかし1299年にキプチャクのノガイハーンが崩御すると、血縁が切れて軍事的ピンチに陥った。

小アジアでは、オスマンの力が増し、ほぼ半島を制圧されて、領土はコンスタンティノープルとギリシャ、バルカン半島程度に縮小された。彼はアラゴンの支援を頼み、ロジェ・ド・フロールを首領とする傭兵軍団がオスマンを打ち破った。しかしロジェが力を持ったため、暗殺され、残った傭兵達は領土を荒らしまくったのである。

そして皇帝は、孫の素行の悪さに帝位を剥奪しようとして内乱が起こり、結局1328年に負けて廃位され、アンドロニコス3世が即位し、修道士として隠棲して、1332年に没した。だがこの内乱で、国力はガタ落ちとなり、オスマンの侵攻を食い止められなくなる。

下は優雅なパレオロゴスるれサンスのモザイク

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。