常備軍の必要な仏王フィリップ4世は教会に課税した。教皇ボニファティウス8世は反対したが、ルイ9世の列聖に向けた話し合いで妥協、課税は実現した。しかし今度は王と対立したパミエ司教を王が逮捕。教皇は怒り、全フランス司教をローマに帰らせてしまった。
フランドルで反乱が起こり、その課税をしようとして召集したのが全国三部会。イギリスと同じく議会は王の課税のために始まったのである。ところがこの課税にも教皇が反対して流れてしまった。ボニファティウス8世は、十字軍後の世界においても「教皇首位権」をふりかざしていた。
教皇に王がビビるのは、封建時代に諸侯が居て、教皇が王を破門すれば反乱を起こす者が居るからだった。インノケンティウス3世などは、この政治力が抜群であった。しかし王権への集中がすすんだ時代、教皇首位は時代錯誤といえた。
王はとりあえずフランドルを支援する英エドワード1世にフランドルの領地を元の領主に戻すという条約を締結。そして1303年9月7日、教皇一族の領地アナーニで教皇を誘拐するという挙に出た。教皇はなんと数日間監禁されて暴行を受け、救出されてローマに戻ったが、その心身ともの傷で憤死してしまった。ヴァチカン史上最悪の事件という「アナーニ事件」を起こしたのはルイ9世の孫である。
下は兵士に暴行される教皇ボニファティウス8世
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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