教皇庁捕囚3-伝説誕生ウィリアム・テル

1291年、ハプスブルク家のルドルフ1世が崩御した。家は二代目アルブレヒト1世が継いだが、彼は父と反対に強圧政治を行ったため、さっそく地元スイスで、反乱が起こり、城が破壊された。ハンガリーでも旧領主が反乱し、勝利した。神聖ローマ諸侯も二代目を警戒して、小貴族のアドルフを選んだ。ところがアドルフも権力拡大を求めたので廃位されてしまった。

諸侯は掌を返して、結局アルブレヒトをドイツ王に選出し、98年アドルフに勝利し、アルブレヒトは名実共にドイツ王となった。ドイツ王となったアルブレヒトは、ハンガリーの独立を承認し、スイスの反乱を鎮圧した。しかし山岳を拠点としてゲリラ闘争が続いた。この中で出て来たのが「ウィリアム・テル」の伝説である。

ウィリアム・テルの実在は確認されていないが、スイスの人々は実在を信じ、スイスの象徴となっている。この農民の独立闘争は、農民の軽装で長槍を使った歩兵戦術を編み出し、ハプスブルクを打ち破ることで、これまでの乗馬と重装という戦術に革命をもたらした。同時にスイスは中立傭兵国家として独特の道を歩むこととなる。

アルブレヒトは、ボヘミアを狙って、王権拡張戦争を繰り返した。しかし諸侯はアルブレヒトに対して連合し、なかなかうまくいかない。1303年教皇からようやく皇帝の戴冠がなされたが、彼の強権政策は身内からも反発を呼び、1308年財産相続の問題で揉めていた甥ヨーハンによって暗殺された。

下はスイスのアルトドルフにあるウィリアム・テル像

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。