「聖ルイのめでたき御世」人々はこの時代をこう呼んだ。彼のおかげでフランスは平和となり、当たり前のことだが、流通が活発になり、経済は発展した。各地で聖堂が建てられ、ルイは病院まで建てた。人口1万人の小さな町にも、2つの病院と1つの癩病院があった。王家の収入の1割は貧民の施しに使われ、飢饉の際には貧農からの年貢は返還された。ルイはいつも施しが足りないと悩んでいたという。
中世は皮肉をこめて「大聖堂がどんどん建つ暗黒時代」と呼ばれる。中世の暗いイメージは近代主義者が、近代ヨーロッパの貧しい農民の姿を見て、前の時代はもっと悲惨だったろう、と考えたらしい。ところが、研究が進むと、近代になるにつれて農民は貧しくなってきたとわかったのだ。
1267年5月、教皇の呼びかけに応える形で、第八回十字軍への参加を表明した。ドミニコ会の力により、イギリス王、ドイツ王も参戦を表明、アラゴン王も加わり、西欧の力を集めた遠征が期待された。1268年、バイバルスがアンティオキアを陥落させ、十字軍国家の危機が明確となった。
ルイらの危惧は、イスラムやモンゴルが、聖地を蹂躙した後、以前のように地中海から西欧を襲うということであった。しかし民衆は平和に慣れ、「十字軍は無意味」という声があがっていた。良くも悪くも昔のような宗教熱はなかった。ルイはこのとき54歳、もともと身体が強いとはいえず、長年の国への奉仕が身体を蝕み、病気がちとなっていた。彼は最後の仕事として十字軍に行く。
下は王の名をとった町アメリカのセントルイスのルイ像と夕焼け
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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