第8回十字軍5-十字軍アンティオキア陥落

1261年、ラテン帝国が崩壊し、ビザンティン帝国が復活した。この経緯については前に書いたが守備兵が出払っているところを、たまたま通りかかったニカイア帝国に見つかって奪取されたという、情けない話である。加えてモンゴル勢のイルハーン国とキプチャクハーン国が仲違い。状況は4つ巴、5つ巴となってさらに複雑化。

その中でルイのもとへイルハーンからもキプチャクハーンからも同盟の申し入れが届いた。そこには草原と違って、中東の砂漠では馬がなかなか走れない、という泣きごとが書いてあった。ルイは教皇に任せたが、案の定断った。しかしキリスト教に寛容なモンゴル勢のほうがましと考え、両国には使節や伝道使を送る。

キプチャクハーンは、マルムークと同盟を組んでイルハーンを挟撃しようとするが、ビザンティンに邪魔をされて失敗。複雑なかけひきが続く中で、ついに1265年イルハーンのフラグが崩御した。キプチャクのベルケも老いてかつての力はない。この機に踊ったのがいまやイスラムの英雄となったマルムークのバイバルスである。

キプチャクに加え、ビザンティンとも同盟したバイバルスは、十字軍国家を孤立させ、1267年、聖ヨハネ騎士団の大城塞サファドを騙し打ちで陥落させた。そして1268年5月、トリポリを襲うとみせかけて、そのまま北上して、彼の育てた大艦隊と共にアンティオキアを急襲し、陥落させた。歴史ある都は炎上し、虐殺された市民は1万7千人に達し、生存者もことごとく奴隷にされた。

下は行軍するマムルーク軍

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。