1912年秋、第二次バルカン戦争が起こったとき、ベルリンでは20万人、パリ郊外では10万人が戦争反対デモを行った。同時に第二インターナショナルがバーゼルで緊急会議を行い、23カ国から500人が結集して戦争反対を訴えた、何と集会は大聖堂で行われ、最後にバッハが演奏された。
しかし翌年、フランス社会党は軍拡予算に反対したが、ドイツ社会民主党は軍拡予算をめぐって分裂状態となる。実は1907年南西アフリカ植民地で起こった反乱を軍が武力鎮圧したことを契機にナショナリズムが盛り上がり、選挙に大敗し、84議席から40議席を減らした、これを機に穏健派がイニシアティブを握ったのだ。
各国ではナショナリズムが高揚し、社会主義者もその影響を免れず、特にドイツでは大きかった。労働者の生活のためには植民地の拡大は必要だという意見さえあったのである。バルカン問題についても戦争反対はいいのだが、解決の方法については各国で違っていた。
1914年になると事務局会議はパリで総会を開催するということ以外何も決められなくなった。そして8月4日、ドイツ帝国議会でドイツ社会民主党は少数派の意見を押し切り、戦時予算に賛成した。フランスやオーストリアでも同じことが起こり、インターナショナルは分裂してしまうのだ。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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