世界大戦へ17-イタリアのリビア侵攻

オスマン帝国の混乱に付け込もうとした国はオーストリアだけではない、1911年9月末イタリア王国がオスマンが支配していたリビアの割譲を求めて戦争を仕掛けたのだ。イタリアはチュニジアに権益を持っていたが、チュニジアをフランスが取るとき、隣のリビアを取ればいいとけしかけた。

ウンベルト1世の暗殺後後を継いだ息子ヴィットリオ・エマヌエーレ3世は実権がなかったが、政府は国内の問題を植民地獲得で解決しようとした。オスマンは緒戦は劣勢だったが、内陸部では塹壕戦に持ち込み戦線が膠着しかける、イタリアは長期の戦争を戦う金がないのだ。

そこでイタリアは海軍を使い、直接オスマン領海に侵入して本土を脅かすことにした。近海のロードス島やドデカネス諸島を占領してしまうのだ。翌12年に入ると、今度はロシアの後押しで、ブルガリア、セルビア、ギリシャ、モンテネグロの4国がバルカン同盟を結ぶ。そして10月、これらがオスマンに宣戦布告して第一次バルカン戦争が勃発する。

バルカン諸国まで歯向かうなかで、オスマンは早期に戦争を終わらせるしかなかった。12年10月、ローザンヌ講和会議で、イタリアはリビア割譲を勝ち取り、イタリアは首尾よくアフリカに植民地を獲得した。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。