世界大戦へ15-ラストエンペラー

1908年8月27日、清朝は憲政予備の詔を発し、9年以内に憲法を制定し、議会を開催すると宣言した。また欽定憲法大綱を発表、その冒頭は「大清皇帝は大清帝国を統治し、万世一系にして、永永に尊戴される」とある。これは大日本帝国憲法の影響が著しい、が王朝が入れ替わる中国にこれを当てはめるのは無理がある。

しかし10月21日、光諸帝が崩御、その翌日に最高権力者の西太后も亡くなる。光諸帝は幽閉されていたが33歳の若さである。調査によって頭髪に大量のヒ素が見つかったことから調査委員会は毒殺されたと結論づけた。犯人は自分の亡きあとに帝の復権を恐れた西太后が最有力である。

新皇帝は西太后の指名に従い、わずか2歳のラストエンペラー溥儀が宣統帝として皇帝となった。摂政の帝父醇親王は実力者の袁世凱を政権から追い出し、殺害しようとするが彼はかろうじて逃れ河南省に蟄居した。

10年10月3日、議会の前身として資政院が招集された、定員200人のうち勅選が100人、民選が100人である。しかし民選議員は選挙ではなく、この議会もあくまで皇帝の諮問機関だった。11年5月8日内閣制がスタートした、総理大臣は慶親王奕劻である。その翌日鉄道国有化が発表された。これは地方の反対を呼び、中国は辛亥革命へと進んでゆく。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。