ビョルケの密約だけでなく、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、自分の思いつきを軽々しく発言することが多々あった。例えば1904年にベルギー国王レオポルド1世が訪独したとき、一緒にフランスを攻めようと言ったそうだ。その数日後今度はオランダ女王の夫に向って、ドイツはイギリスを攻めると言った。
そのような舌禍がついに国際問題となったのが1908年10月28日に起こった「デイリー・テレグラフ事件」である。独皇帝はイギリスで休暇中に、懇意のワートリー英大佐と話したことが新聞に載った。新聞は確認のため原稿をドイツに送ったが、チェックするべき宰相ビューローは休暇で、たらいまわしにされて下級官吏が承認のサインをしてしまった。
この記事の問題は、ボーア戦争への列強の介入を独皇帝がさしとめたとか、軍艦の建造は極東の国への対策だとか、自分はドイツの少数派の親英だとか、国家機密を知人としゃべっていることや、イギリス、ドイツ世論もわき返り、皇帝は落ち込んで本気で退位を考えるほどだった。
独皇帝の気質もあるが、国際関係におけるドイツの立場が表れているといえる。ドイツは急速に大国となり、国民は大国と思っていたが、列強としては新参で植民地も出遅れている。そのギャップが独皇帝のチグハグな大言壮語となった。ドイツはますます孤立し、日本もドイツ贔屓を見直すようになった。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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