世界大戦へ19-イラン立憲革命

日露戦争は世界各地に波紋を広げた。1905年12月イランで立憲革命が始まる。もともとカージャール朝は人気がなく、英露の支援で存続していた。しかしロシアは日露戦争の敗北と革命でそんな余裕はなく、イギリスはボーア戦争から立ち直っていなかった。さらにロシアへの日本の勝利はイラン人に勇気を与えた。

日露戦争の影響でロシアからの輸入が激減し、物価が高騰。テヘラン太守の強権に怒り、聖職者と商人がテヘラン太守解任を要求して王のモスクで集会をもった。政府は太守解任と司法改革を約束しておさめたが、その改革はいっこうにすすむ気配がなく、かえって聖職者が逮捕された。

06年7月11日、騒乱鎮圧でムハンマドの子孫から死者が出ると、テヘランのバザールを閉鎖し、治外法権であるイギリス大使館に1万4千人が押し掛けた、つまりゼネスト状態となったのだ。民衆はさらに憲法と国民議会開設を求めた。一連の不首尾で大宰相は辞任に追い込まれ、8月10日に立憲詔書が出された。

12月30日、シャーが憲法に署名して憲法と議会開設が決まった。ところがほどなくシャーが崩御し、息子が即位したが、彼は専制主義に戻ろうとして戒厳令を布いた。しかし民衆はタブリーズを中心に武装抵抗に勝利し、新シャーはロシア大使館に逃亡、さらに息子が即位して議会が再開された。

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。